こんにちは「ざいとく子ども会」です。

鳥取県西伯郡南部町の有志の作る子ども会。親と子のステキな時間を作ります。

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大人と子供では感じ方が違うのだろうと思った話。

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ゴーヤがなかなか大きくならずグリーンカーテンができない。


おはようございます田舎のお父さんです。

昨日 子供が 家内に叱られていました。

あんまり家内が叱るもので 子供は 慣れてしまったのでしょうか

聞く耳を持ちません。 その後 捕まえて 私が何が悪いかっていうのを説明したところ

子供達は泣きだしました。

子どもは何が悪いかというのは 知っているんですね。

ところが 聞いたことを どのように 活かす かという方法を 知らないから

聞く耳を持たないように 見えてしまっているということに気がつきました。

今日は このエピソードから「 察する」って何だろうっていうのを

考えてみたいと思います。

 

こんな話

1  絵を見て 何を見ているか

2  見えないものってなんだろう

3  それに自信が持てるか

まとめ

 

先日子供達と 近所の 美術館に散歩がてら行きました。

と言っても田舎の美術館ですので無料で ざっくばらんに作品を見ることができます。

大人の私は 絵を見るのも好きなんですが、

それよりも その絵の背景の部分 要するに説明の部分を知るのが好きなようで

見ていた時間を10だとするとそのうちの7ぐらいは 説明を見ている気がします。

ところが 子供達は違うんですね 子供達は10あれば10みる子もいるし

興味が合わないと 2 すら見ない子もいます 。

これが大人と子供の違いだと思うのです。

では大人の方が優れていて子供の方が必ずしもおとっていると言うと

そうではありません。

子供は 絵の中から 見えないものを 見つけてしまうのです。

魚の絵を見てた時の事です そこには魚しかないのですが

海に泳いでたので タコやイカもいるというふうに子供はいいました。

見えないし そこには書かれていないと思うのですが、抽象画を見て

子供達は 想像膨らませて絵を完成させてるようです。

これは説明の文を一生懸命読んでいる大人にはできないことで

絵から一生懸命何かを 得ようとしている子供だからこそ

出来たことではないかと思います。

 

では子供の 感受性をそのまま生かすために大人は邪魔をしてはいけない かと言うと

それはまた別問題のようです。

なぜなら 大抵の場合 子供が 自分しか見えてないものや発見したものを

伝える相手は 身内か親しい人だけです。

いわゆるその他大勢の人と そこを使って話す子は珍しいと思います。

なぜなら本人に自信がそこまでないからです。

大人が自信持って主張するのは 背景には根拠を持っているからです。

感性で話す子どもは主張というところまではたどり着きません。

 

察する時に 自分の気持ちが言えないのは どうやらこの辺にも

原因があるのではないでしょうか?

結果的に 察するということできても行動に移すのには、

大人の 能力がある程度そなわらないとできないということではないかなと思います。

だからこそ子供には 親は しっかり話をして

世の中の 常識やルールを 知らせて 根拠の部分を持たせないと

いけないのではないかなと思いました。

 

まとめ

私が子育てをして 思うのは子供の 感性や能力は 全然違うものであり

大人の物差しでも語ってはいけないし

ある種の子供の平均値で語ってもいけないと思います。

言わば何が正解か分からない状態。

そんな時に より正解に近づけるのは一番長く時間を過ごしている

お家ではないかと思います。

だから親が感情的になって叱るのも分かるし

逆に子供は親に甘えてくることも分かります。

だからこそ叱るのも含めて たくさん会話をし

いつか子供が同じ気持ちで「察する」ことができたら最高ではないかと思います。

 

 今日もお読みいただきありがとうございました。