こんにちは「ざいとく子ども会」です。

鳥取県西伯郡南部町の有志の作る子ども会。親と子のステキな時間を作ります。

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子どものために大人が考えるべきこと

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これキウイの花です。こんなに大きい花が咲くなんて知らなかった。

今日は久しぶりに家庭教育について

考えてみました。

 おはようございます。いなかのおとうさんです。

昨日の晩はむしむししてたのと、夕方昼寝したので眠れなくて

夜中に久しぶりに起きてました。そのせいで今日は遅いスタート

生活リズムが壊れていて子どもにえらそうに言えないなあと反省しています。 

 

さてそんな思いもあってか、SNS松下幸之助さんの記事に出会い。

勉強をしました。一部引用しますと

 

もしおとなに“いまは時代がちがうから、どのように子供を育てていいかわからない”とか、“あまりきびしく言わなくても、大きくなればひとりでに事の道理はわかるだろう”といった、あいまいで、あやふやな態度があるならば、それはおとなとしての責任を放棄した姿ともいえよう。

https://ironna.jp/article/3422?p=2

 

これとても共感ができまして、自分の教育観を見つめなおす機会になりました。

結構あいまいなところがあったりするのですが、今日はこの話です。

 

こんな話

1 正直ここ数年の時代の変化は読めてない

2 子どもの生活スタイルが変わる

3 でも最低限ってなんだ

4 人と過ごすことで学ぶことは多い

5 まとめ

 

 近年の時代の変化はすごく早いですね。それはある程度

安全安心な生活ができる環境があるため、生産性とか効率性が

求められた結果、道具の開発によって生活が変わることが起因していると思います。

私が今日情報をもらったSNSも使いやすさが日々進化していて

それを表示するスマホやPC、アイパッドなどの便利さも格段に進化してます。

そんなものもあってか次に何ができるかわからないので

時代は読みにくくなったように感じます。

 

そのせいか子どもも生活スタイルが変わり、感覚的なものを得る行程が

便利なグッズが多くなったことで必要感が薄れたこともあり

より効率的に自分の興味にたどり着けるようになったようにも感じます。

そしてその結果単発的な楽しみをえるものが増えて、継続して少しずつ自分が

変化していくという経験は意図的にしないとできない時代だなあとも感じます。

 

しかしながら、では全く読めないから流れに任すというのは

たいへん乱暴な話で、それこそ引用した記事の危惧しているところとなります。

(とはいえ、上記の点から仕方ないような気がしますが)

そこで私なりに最低限子どもが持っていてほしい能力というか感覚は何か考えると

・明るい性格で前向きな心

・チャレンジする体力

・人の気持ちがわかる観察力

・お礼が言える気持ち

 これが最低限ではないかと思います。「4つもあるの」と思われた方すみません。

これはそれぞれリンクしてまして削るとどれかが機能しなくなり削れませんでした。

 

ではそれを得るために親は何をすべきか?それは集団の中で一緒に過ごし

親子でどうすればいいか考えていくことではないかと思います。

多くの目があればいいところにたくさん気づけて褒められるでしょうし、

だからこそ正しいことをしようという気持ちも生まれるのではないかと思います。

また一人ではできなくても競い、協力してやることで自分の体力なども

増えていくように思いますし、だからこそ一緒にやった仲間に

リスペクトしてお礼も言えるのではないでしょうか?

つまり集団の中に入れると抽象的な指導ではなく体験的な指導ができる

そして子どもは具体的に学べるという良さがあるのです。

でも、この良さを知ってもなんとなく過ごすと

引用した指摘に当たり、われわれ親がそこを価値をしっかり考えて

指導してやらねばならないのだなあと今は思っています。

 

まとめ

 「しつけ」とか「教育」なんてのはやろうと思えばどこまでもできるし

しなくても誰かにお世話になればやっていけるのかもしれません。

でも子供の可能性を引き出すのであれば、最低限これだけはという思いで

話を子どもとすると子どもは理解してくれると思います。

そして仲良くなれる。これの繰り返しで親子はいい親子になっていくんかなあと

 

思います。今日はエピソードがなくてすみませんでした。

 

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